福岡だ。
福岡空港から地下鉄に乗って仕事場のドームへ向かう。
夜8時ごろホテルに到着。フロントが綺麗で嬉しい。だが部屋が酷すぎた。いま時14インチのブラウン管テレビだ。せめて液晶だろう。そんなわけでその後ゴマさばで一杯飲む。
さて今回の出張中、現地で地震のニュースを知った。
ちなみに福岡は(当然だが)まったく揺れなかった。
第一報は仕事場で周りに人が「宮城で地震だってよ」と会話してたのを聞いて知る。まあ、たいしたことないだろうと思いつつもちょっと気になる自分。隣にいた人がケータイで震度7です、と教えてくれる。半端じゃなく動揺する自分。群馬の家族は、家は。無事だろうか。群馬は宮城から離れてはいるが地震の全容がまったくつかめないので焦る。
仕事場のテレビでは津波の濁流に流される漁船、タンカー。火災の黒煙に包まれるお台場。日本列島のほとんどの太平洋沿岸に発令される津波警報。つい1時間前までだれも想像したことのない現実。
ますます動揺する自分。嫁の携帯にはまったく繋がらない。家電もダメ。義理の父母にも繋がらない。ソフトバンクの「ただいま非常に混みあっていますため~」という自動アナウンスを何回聞いたことか。
仕事どころでは無い。のだが群馬に戻る手段もなく、福岡にいるしかない自分。テレビを見てても現実が好転するわけでもない。結局仕事をするしかない、だが集中できず結局テレビを見る。ヘリで中継される津波映像。飲み込まれる畑、民家。ああ~。
嫁と連絡取れたのは地震発生から3時間以上経ってました。
その日は焼肉食ってビール飲んで寝ました。
地震はショックだが、生きているものは生きていくしかないのだ。ローテンションの中、この出張を乗り切るには肉を食ってエネルギーを力を蓄えるのだ。だが部屋に帰っても、ずっと地震のニュースを見てしまう。福岡は平穏そのものなのだが・・・・。なに、このギャップ。翌日は原発の建屋が爆発のニュース。常務が広島、長崎と同じだといい加減なことを言う。黙れ、じじい。
帰宅できたのは地震発生から4日後。自分の部屋では本棚がずれ、上から物が落ちていた。家族が無事でいて何より。
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