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2025-07-02 19:08

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2011-04-17 09:31

さくらは満開は過ぎていた

 SBSC0959.jpg 

仙台から帰ってくると、桜は満開を過ぎ、散り始めていた。すでに新緑の若葉が生え始めている。

SBSC0962.jpg 

お堀は散った花びらで埋め尽くされていてピンクの絨毯みたいになっている。

歩けそうだ。


では今日から神戸の三宮へ出張です。
行ってきます。

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2011-04-14 18:23

そんなわけで仙台です

そんなわけで仙台に行ってきました。

きつかった。

その一言です、いろんな意味で。

今回の出張は震災で滅茶苦茶になった商品の整理。とにかくひたすら肉体労働。冷蔵庫は意外と軽いが洗濯機は悪魔的な重さだった。なにコレ。

SBSC0951.jpg 

休憩をはさみつつ延々と肉体労働。マッサージイスはなぜあんなに重いのか。殺意が沸く。

チェックインしたホテルはお湯が出ず、水シャワーを体験。イヒヒ、つめてエ。コレ。でも意外と気持ちイイぞ。これ。

ホテルから作業場所の倉庫まで車で通勤。
多賀城付近になると脇に車が。津波ですね、コレ。

SBSC0948.jpg 

調べてみると、ここ県道10号は海から直線で1.5~2km。どうやら壁についた汚れからみると大人の胸くらいまで波が来たようだ。

SBSC0945.jpg 

道路沿いには延々と瓦礫の山。ほとんどが車。近くに港があるのでそこから流されてきたものが多いようだ。時間が少しあったので港まで行ってみた。

SBSC0949.jpg 

仙台塩釜港。運輸会社の倉庫、火災があったようだ。鉄製の外壁が溶けて黒こげだ。車外に出ると異臭が、焦げ臭い匂いと生臭い匂い。なんだろうこの匂いは。瓦礫掃除の作業員の方々がいるが皆マスクをしている。

SBSC0950.jpg 

この車にはだれか乗っていたのだろうか。

対岸の岸壁を見ると、明らかに船が乗り上げている。けっこう大きいぞ。全長100Mはあるだろう。

ship.jpg 

GoogleMapで調べてみた。これほどの大きさの船が乗り上げてしまうなんて。津波の威力がどれほどのものだったのかうかがい知れる。

港は廃墟と化していた。その光景は言葉にならない。報道で知るのと実際目で見るのとでは、なんというか。別物だ。この付近ではおよそ180人の方々が亡くなられている。そしてここよりもっと酷く被害を受けた地域があるのだ。
 
 
仙台にいる間、自衛隊の車両を見かけない日は無かった。
 
余震怖かったです。 

2011-04-07 00:12

入学式だ そして仙台へ

娘が小学1年生になりました。今日が入学式です。

P4071219.jpg 

そして長男は2年生に。
長男の入学式には出れなかったので、入学式というイベントは初めて。みんなかわいいなあ。

それにしても、今の時代子供の数は少ない。娘と息子が通う小学校は全校生徒170人弱。各学年1クラス編成、1クラスには30人も居ない。娘のクラスは28人・・・!!うーん、大丈夫か日本。

P4071262.jpg 

娘は保育園から仲良しの子と同じ学校に。この子がすごいかわいい。保育園ではすごいもてたそうだ。娘よ、末永く仲良くするのだぞ。かわいいお友達がいて父は嬉しいのだ・・・!!

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校庭の桜は三部咲きか。今度の土日が丁度見ごろになりそうだなあ・・・家族で城跡公園の桜を見に行こうかなあと、思ってました。

ところが土曜日から5日間仙台出張が急遽決定。
怪我しないよう気をつけます。
そして来週木曜帰ってきたら2日連休挟んで、日曜日から4日間神戸の三宮へ出張、だそうだ。

もう寝ます・・・。

2011-03-26 00:10

娘が卒園した。 4月から小学生だ。

そんなわけで娘が保育園を卒園した。

P3261188.jpg 

泣いている親御さんがかなり居た。まあ、泣くよね~。普通だよね~。

自分はまったく目頭が熱くなる気配すらない。泣くというか、・・・・まあやっとここまで来た、とホッとした気持ちの方が強い。それと、4月から小学生になるわけで、この子が無事に通学&帰宅できるかが心配。泣いてる場合じゃないよ。まだまだだよ。

式中に、福島第一原発へ決死の放水をしたハイパーレスキューのエピソードを思い出し、そのせいで涙腺がややゆるんだくらいか。卒園式関係ないじゃん。はい。

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ああ、でもさびしい事はさびしい。間違いなくさびしい。もう朝一緒に家を出ることは無いのだから。うーん、さびしい。

2011-03-11 23:36

福岡だ。そして地震だ。

福岡だ。

福岡空港から地下鉄に乗って仕事場のドームへ向かう。

SBSC0915.jpg 

夜8時ごろホテルに到着。フロントが綺麗で嬉しい。だが部屋が酷すぎた。いま時14インチのブラウン管テレビだ。せめて液晶だろう。そんなわけでその後ゴマさばで一杯飲む。


さて今回の出張中、現地で地震のニュースを知った。
ちなみに福岡は(当然だが)まったく揺れなかった。

第一報は仕事場で周りに人が「宮城で地震だってよ」と会話してたのを聞いて知る。まあ、たいしたことないだろうと思いつつもちょっと気になる自分。隣にいた人がケータイで震度7です、と教えてくれる。半端じゃなく動揺する自分。群馬の家族は、家は。無事だろうか。群馬は宮城から離れてはいるが地震の全容がまったくつかめないので焦る。

仕事場のテレビでは津波の濁流に流される漁船、タンカー。火災の黒煙に包まれるお台場。日本列島のほとんどの太平洋沿岸に発令される津波警報。つい1時間前までだれも想像したことのない現実。

ますます動揺する自分。嫁の携帯にはまったく繋がらない。家電もダメ。義理の父母にも繋がらない。ソフトバンクの「ただいま非常に混みあっていますため~」という自動アナウンスを何回聞いたことか。

仕事どころでは無い。のだが群馬に戻る手段もなく、福岡にいるしかない自分。テレビを見てても現実が好転するわけでもない。結局仕事をするしかない、だが集中できず結局テレビを見る。ヘリで中継される津波映像。飲み込まれる畑、民家。ああ~。

嫁と連絡取れたのは地震発生から3時間以上経ってました。

その日は焼肉食ってビール飲んで寝ました。
地震はショックだが、生きているものは生きていくしかないのだ。ローテンションの中、この出張を乗り切るには肉を食ってエネルギーを力を蓄えるのだ。だが部屋に帰っても、ずっと地震のニュースを見てしまう。福岡は平穏そのものなのだが・・・・。なに、このギャップ。翌日は原発の建屋が爆発のニュース。常務が広島、長崎と同じだといい加減なことを言う。黙れ、じじい。

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帰宅できたのは地震発生から4日後。自分の部屋では本棚がずれ、上から物が落ちていた。家族が無事でいて何より。

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